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自分がされて嫌なことを他人にしてはいけない、という教育が間違っている理由

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日本ではよく自分がされて嫌なことを他人にしてはいけないと教育される。だが、この教育方法はお金持ちになるにあたって、まったくの逆効果であり、完璧に間違っている。では、どう教育すればよいのだろうか。

自分を価値判断の基準にしてはいけない

最初に解答を言ってしまうと、子供をお金持ちにするためには「人が嫌がることをしてはいけない」と教育しなければならない。

では、自分がされて嫌なことを他人にしていはいけない、という話のどこが間違っているのだろうか。それは判断の基準が自分になっているという部分である。ムラ社会的な雰囲気が色濃く残る、発展途上な昭和の時代であれば、周囲にいる人は、皆、同じような生活をしており、価値観も同一だった。

だが、近年は社会の多様化が急速な勢いで進んでいる。そのような社会においては、自分が心地よいと感じるからといって、それが他人も同じとは限らない。逆に、自分は不愉快でも他人はそれほどでもないということが十分にあり得るのだ。

自分がされて嫌なことを他人にしてはいけないということは、ウラを返せば、自分が嫌でなければ、相手も不快には思わないはずという短絡的な考えに陥りがちだ。実際、社会ではそのようなケースはゴマンとある。

代表的な例が、飲酒や喫煙だろう。筆者はお酒が大好きなのだが、酒が飲めない人にとってこれほど苦痛なことはない。そうであるにも関わらず、相手とコミュニケーションを深めるためにお酒が必須であると頑なに信じている人が大勢いるわけだが、このような人は、自身の価値観だけを基準にしている。そして、たいていの場合、このタイプの人物は、あまりお金持ちではない。

最近、受動喫煙防止法をめぐって様々な議論があったが、この問題も同じ文脈で解釈することができるだろう。相手が嫌がることをしてはいけない、という考え方がスタンダードであれば、受動喫煙が許容されないのは当然の結果である。

現代社会においてビジネスや投資で成功するためには、相手が何を望んでいるのか、逆にどのようなことを望まないのか、的確に判断する必要がある。相手が自分と同じ価値観とは限らないので、相手がどんな人物なのか分からないことを前提にしなければならない。

この考え方さえマスターできれば、グローバル化などまったく恐れる必要はない。障壁となるのは価値観の違いであって、言葉の問題など取るに足りない話である。

加谷珪一

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