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Vol.3 現代アートをカテゴライズ 平面編 3/3

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アートディーラー/解説者として知られる、三井一弘氏による本連載。今回は、平面アートについて解説している。最後に取り上げるのは「写真」だ。ーー

平面アート:その④ 写真

現代アートにおいて、写真もメジャーなジャンルです。知名度や評価の高い作家・写真家はたくさんいて、ドイツの現代写真家であるアンドレアス・グルスキーの作品であれば、1999年に撮影した「ライン川 Ⅱ」はニューヨーク・クリスティーズの「Post-War & Contemporary Art Evening Sale」において430万ドルで落札されました。米国写真家のエドワード・スタイケンも有名で、億単位の作品がいくつも。

日本人だと東京都出身の杉本博司は圧倒的に評価が高く、「海を最初に見た人間はどう感じたか」「古代人の見た風景を現代人が同じように見ることは可能か」といった問題提起のもと、大判カメラですべて水平線が中央にくるように撮影した白黒写真の「海景」シリーズは、広く知られた作品です。彼の作品にはコンセプトが伴うことから、写真家というよりは現代在アート作家として認知されています。高い作品だと5000~6000万円ほどするようです。

岩手県出身の畠山直哉は1997年に写真集「ライム・ワークス」、写真展「都市のマケット」により第22回木村伊兵衛賞を受賞、2001年委は世界最大の国際美術展である「ヴェネツィア・ビエンナーレ」に日本代表のひとりに選出された人物です。同年の写真集「アンダーグラウンド」は第42回毎日芸術賞を受賞し、これらの活動を通じてグローバルに知られる存在になりました。

写真自体が発明されたのは19世紀ですが、それ以前にも光を平面に投影する、いうなれば写真の原点のような技術はあったようです。17世紀、江戸時代の浮世絵には、富士山に当たる光が家屋の雨戸に空いた節穴を通り、ピンホールカメラと同じ原理で室内の障子に逆さ富士として映し出される模様を描いた作品があり、海外でも、「カメラ・ルシダ」という光学装置を使って、その中に投影された像をトレースして素描やスケッチを描く作家はいました。

18世紀に入ると塩化銀やハロゲン化銀といった銀化合物の一部は感光すると色が変わると知られるようになり、19世紀には映像と観光材を組み合わせて映像を定着させる写真技術が誕生します。同時に、かつても王侯貴族が大金を支払い作家に描かせていた肖像画は、産業革命により誕生した中産階級により写真としてのニーズが高まり、庶民の間でも一般的に広がっていきました。

この時点では、写真は「記憶の鏡」であり、アートとして捉えられることはありませんでした。一方で、フランス19世紀ロマン主義を代表する画家のウジェーヌ・ドラクロワ、写実主義のギュスターヴ・クールベ、印象派のエドゥアール・マネは作品の下絵として写真を活用したことで知られています。バレエ絵画で知られるエドガー・ドガも同様で、彼の場合はアングルやコントラスト、撮り方など、撮影のテクニックにも優れ、マニアの間ではドガの絵画のみならず写真も高額で取引されているそうです。

18世紀中ごろから終盤にかけては、誰もが足を運べない大自然の写真が人気になったり、19世紀になるとコラージュ作品や定点写真も登場し、1871年にはパリコミューンで建造物の破壊前後を収めた作品が発表されました。ありのままの歴史や姿を捉えるといった役割が写真に求められるようになったのです。米国の画家・彫刻家・写真家のマン・レイは恋人でフランスの歌手・モデルであるキキを被写体に「アングルのバイオリン」という作品を制作しますが、これはキキの背中越しのヌード写真の上に、弦楽器のf字孔を描き、それを再撮影したもの。女性の身体に手を加えてバイオリンに見立てたユニークな作品です。本人がアートを意識したかどうかは定かではありませんが、後からすると、とても魅力的に映ります。

エンリッチ編集部

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