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The Style Concierge

フロリダ州 オーランド 2/2 
夢の世界を築いたディズニー家

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前回、ディズニーワールドを中心として、オーランドが世界一のテーマパーク都市になっていることを紹介しましたが、今回はなぜオーランドに夢の国が実現できたのか、立役者であるディズニー家の人々を中心として、紹介していきたいと思います。(前回を読む

弟ウォルトを支えた兄

日本ではディズニー社の創業者としてウォルト・ディズニーばかりが有名ですが、実はディズニーの創業者はもう1人います。それはウォルトの8歳年上の兄ロイで、このロイがディズニーワールドを現在の姿にまで成長させた最大の立役者です。生まれついてのビジョナリーでコンテンツ制作の天才だった弟ウォルトに対して、兄ロイは弟のビジョンを実現するために必要な準備を整えてくれる優れた実務家でした。

アニメ市場が米国でもほとんど存在していなかった1920年代にディズニー社をウォルトと設立してから、1971年に亡くなるまで50年近くにわたってCEOを務めました。ウォルトは音が入ったトーキーアニメ映画、フルカラーのアニメ映画、それまで数十分が当たり前だったアニメ映画の2時間長編化と、アニメについて史上初めての試みを次々に思いつきます。

いずれもウォルト以外には思いつかない斬新なアイディアばかりですが、同時に多額の資金を必要として、さらにリスクが高い事業ばかりであったため、資金の出し手を見つけるのは大変難しく、その度に多額の資金をかき集めて実現にまでこぎつけるのがロイの役目でした。

白雪姫やピノキオ、シンデレラと長編フルカラーアニメ映画で高評価の作品を次々に生み出し、アニメスタジオとして不動の地位を築きつつあった1950年に、決してこれまでの業績に満足をしないウォルトはテーマパークの建設というこれまでで最も費用の掛かるアイディアを思いつきます。

1955年にアナハイムのディズニーランドを作り上げますが、多額の費用を様々な企業との協調投資という形でしか集められなかったため、ウォルトにとってはパーク運営を思い通りにできない不満が残る形となりました。

なぜ、オーランドに夢の国を建設したのか

真にウォルトが思い描く理想的なテーマパークを建設したいと、1960年頃から2つ目のテーマパークの建設地を探し始めます。ディズニーワールドという名前からも分かるように、2つ目のテーマパークは遊園地の枠にとどまらず、ウォルトが考える理想郷を地上に作り上げるという壮大なものでした。

必然的に巨大な敷地が必要となるため、郊外で土地が安価でありながらも、道路網が整備されていて遠隔からのゲストを集めやすいという条件から、当時は広大な湿地帯が広がっていたオーランドが候補地として浮上します。

当時は広大な湿地帯が広がっていた。
当時は広大な湿地帯が広がっていた。

ウォルトも現地に足を運んでオーランドが気に入り、土地取得に入りますがここでも多くの困難が待ち受けていました。ディズニーが新たなテーマパークを建設しようとしていることが分かると土地価格が高騰するために、いくつものペーパーカンパニーを通じて慎重に土地購入が進められます。テーマパーク建設計画は幸い土地取得が完了するまでかぎつけられることなく、当時の為替レートで1ヘクタールあたり約10万円という破格の安さで土地を取得できました。

いくつかのメディアは何者かがオーランドで大規模な土地取得を手掛けているという情報を入手していましたが、NASAがケネディ宇宙センターに続く新たな基地を整備しようとしているという噂が最も信じられていたようです。

1965年にメディアで報じられたために、ディズニーワールドの建設を正式に発表します。残念なことにプレスリリースが行われた翌年の1966年にウォルトはディズニーワールドの完成を見ることなく亡くなってしまいます。

岡村聡

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