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森泰吉朗(森ビル創業者)

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森泰吉朗氏は、六本木ヒルズや虎ノ門ヒルズで知られる森ビルの創業者である。森ビルの経営を引き継いだ息子の森稔氏は2012年に死去したが、米誌フォーブスによる推定資産額は19億ドル(当時のレートで約1500億円)であった。

森ビルの当時の資産総額は約1兆3000億円であり、このうち自己資本は約3000億円である。株式は親族で分散しているので、稔氏がその半分である1500億円程度を保有していると考えれば、フォーブスの計算と辻褄が合う。この巨額の資産の基礎を築いたのが泰吉朗氏である。

学者としての知見が戦略の基礎に

森氏の父親は米屋からスタートし、現在の西新橋に貸家を持つ不動産業に転じたが、あくまでごく普通の大家さんであった。父親はかなりの人情家だったようで、店子の子供が学費に苦労していると聞くと援助を申し出たり、逆に浪費が目立つと注意して煙たがられるなど、地域コミュニティの顔として事業を営んでいたようだ。

しかし、泰吉朗氏は、戦後における高度成長と都市への一極集中を的確に予測。伝統的な大家さん業からの転換を図り、虎ノ門界隈に次々とオフィスビルを建設していった。やがてビル経営が本業となり、学者を辞して法人化したのが現在の森ビルである。

森氏は学者出身らしく、すべて理詰めで計画的である。ビルの建設には元手が必要だが、森氏は戦後のハイパーインフレをきっかけとした「投機」でそのお金を作っている。森氏の場合には投機というよりは、計画的な投資といった方がよいかもしれない。

日本政府は太平洋戦争の遂行に際し、国家予算の280倍という途方もない金額を戦費に費やした。このお金はすべて日銀による直接引き受けで賄われたので、戦争が終わると国内経済は準ハイパーインフレとも呼べる状況となった。この強烈なインフレで預金を持っている資産家はほぼすべての資産を失っている。

このような時、価値を失わないで済むのは外貨や金、あるいは産業用の素材類、そして土地である。森氏は土地は保有していたが、ビルを建てるお金はない。森氏は経済学者としてインフレの到来を正確に予測しており、森氏は何と人絹(レーヨン)の相場に参戦して大量に人絹を買い付けた。

インフレと預金封鎖の実施で人絹相場は大暴騰し、森氏の資産は何十倍にも増えたという。この資金を元に、新橋界隈に近代的なビルを建設していった。

加谷珪一

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