ENRICH(エンリッチ)

The Style Concierge

大山エンリコイサム 
現代アートとグラフィティ文化の関係を更新する

グラフィティを線画に抽象化
それがQTSというモチーフ

E:大山さんの作品とグラフィティ文化の関係について教えてください。

大山:グラフィティ文化のキーワードのひとつに「有名性」があります。70年代初頭のNYで生まれたグラフィティは、自分の名前を人に知らしめるために街中にかく行為で、大きな壁や電車、さらには映画や雑誌の撮影に映りそうなスポットなども狙われました。

僕も二十歳前後の頃はグラフィティ的なドローイングを紙にかいていたのですが、よく考えると、紙にかくなら名前である必要がないことに気づきました。ストリートとか地下鉄とか、人目に触れる場所に無許可で自分の名前をかくから意味があった。紙にかいても人目に触れるわけではないし、そもそも僕は、自分の名前をかくということにはあまり関心がなかったんです。

どちらかというと、グラフィティの文字の躍動感や立体感、シャープな疾走感など造形的な特徴に惹かれていたんです。単純に線を紡いでいくことが楽しかった。それなら思い切って文字を取り除き、グラフィティを線の反復だけに還元してかたちを広げようと。そうして生まれたのがクイック・ターン・ストラクチャーというモチーフで、その結果、解消したのがリテラシーの問題です。

理詰めよりも感覚
体感できる作品を作る

E:リテラシーの問題といいますと?

大山:グラフィティは文字を崩してかかれるので、多くの人は読めません。読み取るには相応のリテラシーが必要なんです。でもQTSはアブストラクトなので、文字として読み取る必要はない。純粋にかたちとして知覚し、楽しんでもらえるわけです。若い頃に関わっていたライブペインティングのコミュニティもとても小さくて、当時から僕はどうやってそれを外部に開いていけばいいのか考えていた。さまざまなサブカルチャーの現場で、リテラシーの壁によってインサイダーとアウトサイダーが分けられてしまうのを不毛に感じた。それを解消して、風通しのいい環境にしたかったんです。

© Enrico Isamu Ōyama / Courtesy Takuro Someya Contemporary Art
© Enrico Isamu Ōyama / Courtesy Takuro Someya Contemporary Art

アートも同じ問題を抱えている。特に現代アートの作品は、歴史や文脈を理解しないと意味がわからない作品も多くあります。もちろん歴史や文脈の理解は重要だし、専門家同士の評価においてそうした視点は不可欠です。でもそれを超えて、見ただけで身体に訴えるようなパワーのある作品こそ本当に魅力的だと僕は思う。そういうものはジャンルの専門性を超えてより広い層のオーディエンスに届くし、自分の作品もそうありたいと思っています。

E:大山さんの作品は現代アートとグラフィティの歴史や文脈に裏打ちされているけれど、鑑賞する際にそういったリテラシーがなくても大丈夫、というのは興味深いです。

大山:専門家に評価される厚みと、一般の方にも感動してもらえる普遍性を兼ね備えていたいんです。狭く・深くでも、広く・浅くでもなく、広く・深くありたいということかな。

それに、専門家のサークルのなかで深く掘り下げられることで濃密で強度のある表現が生まれることもあれば、単なる形骸化したマンネリズムに陥る危険もあります。その見極めは、最終的にはやはり感受性の判断になる気がするんです。「これ、僕らにしかわからないけど、いますごいものが生まれているな」となるのか、「これって、専門家で重箱の隅をつつくような話をしているだけで、まったく生産性がないな」となるのか。

エンリッチ編集部

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