ENRICH(エンリッチ)

The Style Concierge

Vol.1 アートの歴史を理解する 2/3

ローマ芸術が再び評価されるように

ルイ16世の時代になると王侯貴族は益々自分たちの遊びに酔いしれ、市民は重税に苦しむなど、フランスは盲目的で危険な状態に向かっていきます。当時、ベルサイユ宮殿では一晩に2万本のローソクを使い屋内を明るくしていたそうです。かの有名な、マリーアントワネットの浪費壁は激しく財政は傾き、市民は不満を募らせた結果、1789年にはフランス革命が勃発しました。

一方、1748年にイタリアでは、ヴェスヴィオ火山の噴火により地中に埋もれていたポンペイの遺跡が再発掘され、古代ロマン、ローマ時代の勇敢で厳格な絵画や彫刻が欧州で再評価されるようになると「新古典主義」という新たな思想が生まれます。
その後、フランス革命後にアートは王宮から市民階級に広がり「フランス・アカデミー=サロン」というかたちで受け継がれます。

当時、フランスでは革命を先導したジロンド派と対抗政党のジャコバン派が対立していて、1793年、ジャコバン派のリーダーの一人であった、ジャン=ポール・マラーは自宅で入浴中に、ジロンド派支持者のシャルロット・コルデーにより暗殺されます。そのマラーの遺体が浴槽に横たわっている様子を描いたのが、ジャック=ルイ・ダヴィッドですが、これは社会的事件を材料に脚色することなく、報道写真の前進にあたる絵画としては歴史的な作品になることに。

彼は26歳でローマ賞を得ると古典絵画の研究に没頭し、ギリシア・ローマ彫刻に表現される力強い男性の裸体像こそ芸術の理想であると考え、次第に新古典主義の堂々とした固い作風に変化していったという人気の作家。後に、ナポレオンお気に入りの画家として首席画家に任命され、1801年には「サン・ベルナール峠を越えるナポレオン・ボナパルト」、1805年-7年には「ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠」を描きます。さらに、ダヴィッドの門下生の一人であるドミニク・アングルは新古典主義の後継者として市民から熱狂的に受け入れますが、彼はラファエロを手本とするという「新古典主義」を美術アカデミーの権威として確立しました。

19世紀中ごろだと、アカデミーは完全な権威で、当時はアカデミーに作品を応募して審査を通らないことにサロンに出展はできないほど。当時の画家はサロンに出展されないとブルジョワ階級の顧客から見向きもされず、食べていくにはサロンに出ることがもっとも大事だったのです。

ーーーアカデミーの創立に伴い、権威になった芸術。果たして、その後はどうなるのか。次回は、アカデミーの解体=反抗から現代までの流れを追ってみる。

*この記事は2018年6月27日に掲載されたものです。


三井一弘(みつい・かずひろ)
アートディーラー/アート解説者、ミツイ・ファイン・アーツ代表、水野学園理事。

1970年横浜市生まれ。国内で現代アーティストとして活動した後、アートディーラーに転身。ウィルデンスタイン(NY)の東京店にて、イタリア・ルネサンス絵画や印象派、現代美術など、多岐にわたり取り扱う。2016年に独立し、現在は古典美術から現代アート作品までコレクターに紹介する傍ら、現代アートとアート市場についてセミナーで講演するなど、精力的に活動を行っている。


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取材協力:CoSTUME NATIONAL | WALL 青山

エンリッチ編集部

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