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藤田田

藤田流交渉術が100%発揮された日本マクドナルドの創業

時間に加えて藤田氏が重視したのは契約の概念である。藤田氏は、ユダヤ系の人は、一旦、結んだ契約については絶対に守る傾向が強いと分析している。

時折、契約書を交わすことを嫌がる人を見かけるが、それは藤田氏に言わせると誠意のなさのあらわれだという。藤田氏にとっては、誠意を持っているからこそ、最悪のケースも含めてそれを形に示せるのであり、それこそが信頼の証ということになる。

確かに契約書を作成すると、相手の人柄がよく分かる。紙にすることを嫌がっていたかと思えば、いざ契約書となると弁護士に作業を丸投げしてしまい、過剰なまでの自己防衛要求を盛り込んでくる人も多い。こうしたタイプの人と、長期的な信頼関係を構築することは難しい。

誠実な人は、細かい作業は弁護士に任せるにしても、契約に対する自信の考え方を契約書に盛り込んでくるものである。契約書の作成という手続きを踏むことで、お互いの人柄を理解できるという点では、藤田氏が主張するように契約書は、まさに人間関係そのものといってよいだろう。

藤田氏は、ユダヤ人から学んだ経営哲学を実際のお金儲けに生かすため、在学中から輸入雑貨販売店である藤田商店を設立してビジネスに乗り出した。その最大の成果はやはり日本マクドナルドの創業ということになるだろう。

日本マクドナルドは、藤田氏と米マクドナルドの共同出資という形で1971年に設立された。圧倒的に強い立場の米国企業が日本に進出する場合、たいていが米国主導となる。だが日本マクドナルドについては、なぜか米国側と藤田氏側の折半となり、対等な形で事業がスタートした。

これは藤田氏のたくみな交渉術の成果といってよい。藤田氏は、ユダヤ人から学んだ方法を生かし、米国企業をを相手に一歩も引かない強気の交渉を行いつつ、一方で彼から高い信頼を獲得することに成功した。この対等なパートナーシップがなければ、マクドナルドは日本で成功しなかっただろうし、藤田氏もこれほどの富を作り出すことはできなかったはずだ。

当時の日本はまだ貧しく、ファストフードとはいえハンバーガーは高級品だった。藤田氏は米国側を説得し、あえて銀座に出店し、客単価も高く設定したが、これが功を奏した。時代が変わり1980年代に入ってハンバーガーが大衆化すると、今度は一気に低価格路線に舵を切り、店舗数を拡大させていった。日本市場の動向に合わせて柔軟にスタンスを変えたことが最大の成功要因であり、これは米国と対等だった藤田氏だからこそ実現できた成果である。

*この記事は2017年3月に掲載されたものです

加谷 珪一 (かや けいいち)

経済評論家。東北大学卒業後、投資ファンド運用会社などで企業評価や投資業務に従事。その後、コンサルティング会社を設立し代表に就任。マネーや経済に関するコラムなどの執筆を行う一方で、億単位の資産を運用する個人投資家の顔も持つ。著書「お金持ちの教科書」(阪急コミュニケーションズ)ほか多数。

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