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日本電産 永守重信

天才でなくても経営できる組織を作れるか?

永守氏の母親は、夢を実現したければ人の2倍努力しなければダメだと永守氏に教育したそうである。永守氏は工業業高校を経て職業訓練大学校を卒業すると、音響メーカーのティアックに就職、1973年に独立して日本電産を創業する。

日本電算を創業してからの永守氏は、母親の教えを忠実に守りハードワークに邁進。休むのは正月の朝だけ。毎日6時台に出勤し、最低でも12時間働くという生活を続けてきた。

日本電産のモットーは「すぐやる、必ずやる、できるまでやる」というもので、永守氏は自身に対してはもちろんのこと、社員に対してもたびたびこうした厳しい職業意識を要求してきた。このため、発言が行き過ぎてメディアなどで批判されることもしばしばだった。

だが、小さな企業が大企業と戦っていくためには、ハードワークが必要であることは、半ば常識でもある。永守氏は日本電産が大きくなってからも、あえてこうした挑発的な発言を行ってきたが、こうした一連の発言も、実は永守氏のビジネスセンスがあればこそだろう。

永守氏は、常に自社が提供する商品の付加価値というものを把握している。商品にどの程度の付加価値が存在するのかは、その商品の性質や市場環境によって自動的に決まってしまう。市場で確立した付加価値を企業側が変えることはできないので、一定の付加価値内で利益を出そうと思ったら、どうしてもハードワークが必要になる。

永守氏は一種の天才なので、こうした合理性と精神論をうまくミックスすることができている。しかし、永守氏の後継者がそうであるとは限らない。ソフトバンクやユニクロと同様、日本電産の目下最大の課題はやはり後継者だろう。

永守氏は会社を同族化させないと公言しており、2人いる子供は同社に入社していない。永守氏は、興銀出身でカルソニックカンセイ社長だった呉文精を社長含みで副社長に迎えていた。しかし、経営の方向性めぐって意見の対立があり、呉氏は副社長を辞任。ルネサスエレクトロニクスの社長に転じてしまった。

天才でなければ会社を経営できないということでは、その会社を永続させることはできない。富と名声を得た永守氏にとって、日本電産を組織として運営できる企業に変貌させることが、最後の課題といってよいだろう。

*この記事は2016年10月に掲載されたものです。

加谷 珪一 (かや けいいち)

経済評論家。東北大学卒業後、投資ファンド運用会社などで企業評価や投資業務に従事。その後、コンサルティング会社を設立し代表に就任。マネーや経済に関するコラムなどの執筆を行う一方で、億単位の資産を運用する個人投資家の顔も持つ。著書「お金持ちの教科書」(阪急コミュニケーションズ)ほか多数。

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