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本田宗一郎 ホンダ創業者

宗一郎氏は自身が天才であることを自覚していた
 
終戦後、しばらくの間、宗一郎氏は何もせずに遊んで暮らしていたと証言している。実際その通りだったらしく、尺八を吹いたり、アルコールを大量に買い込んでは自家製密造酒を造って近所に大量に配ったりしていた。だがある時、軍が使っていた小型エンジンを自転車に付けるというアイデアを思いつき、試しに製品を作ったところこれが大評判となった。

本田技術研究所を設立した宗一郎氏は、バイク・メーカーとして大躍進し、現在のホンダの礎を築くことになる。

宗一郎氏のバイクにかける情熱は半端なものではなく、気に入らない図面を書いた部下を容赦なく殴ったり、ひどい時にはスパナを持って追いかけ回したという話もある。今の時代であれば、完全にブラック企業になってしまうだろう。それでもホンダが超一流企業になれたのは、やはり宗一郎氏が天才だったからとしかいいようがない。

宗一郎氏の振る舞いはアート商会の時代を含めて、とても一般人に推奨できるようなものではない。普通の人が宗一郎氏のように行動すればほぼ100%失敗するだろう。しかし天才という人物は、こうした非常識を成功に変えてしまう魔力をもっている。

宗一郎氏は、自身のこうした天才的な側面をよく理解していたようである。宗一郎氏は、常々子供には会社を継がせないと公言しており、実際、彼の子息はホンダに入社させなかった。

ただ、人というのはなかなか難しい。晩年、息子の行く末を気にする宗一郎氏の意向を忖度した部下のひとりが、ホンダと関係の深い会社の社長に子息の博俊氏を就任させてしまっている。宗一郎氏もやはり息子が心配だったのだろう。その社長人事については反対しなかったようである。

宗一郎氏の没後、この会社には宗一郎氏の権威を悪用しようと考えるホンダの社員が集まることになり、結果として息子の博俊氏は横領事件に巻き込まれている。

カリスマ創業者は常に後継者問題を抱えているものだが、自身が天才であることを自覚し、世襲をしないと公言していた宗一郎氏でさえ、こうした問題と無縁ではいられなかった。

*この記事は2016年9月に掲載されたものです

加谷 珪一 (かや けいいち)

経済評論家。東北大学卒業後、投資ファンド運用会社などで企業評価や投資業務に従事。その後、コンサルティング会社を設立し代表に就任。マネーや経済に関するコラムなどの執筆を行う一方で、億単位の資産を運用する個人投資家の顔も持つ。著書「お金持ちの教科書」(阪急コミュニケーションズ)ほか多数。

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