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初めて訪れたベルリンで感じたこと

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分断の痕跡が今も

昨年の夏に家族で大陸欧州の国々を周り、最後に訪れたのがベルリンでした。

これまでにドイツはフランクフルトだけ訪れたことがあり、旧東ドイツ圏の都市を訪れたのは初めてでした。訪問時よりも35年も前にベルリンの壁は崩壊しましたが、いまだに東西陣営の対立の影が残っていることに驚きました。

今回の訪問にあたって、簡単にベルリンの壁について調べました。第二次世界大戦後の東西対立の激化ですでにベルリンは、米英仏が管理していた西ベルリンと旧ソ連陣営の東ベルリンに分断されていましたが、国境を通じて経済的に豊かな西側への人口流出が止まらない状況を受けて、1961年8月13日にソ連と東ドイツは突如150キロ以上にわたる西ベルリンとの境界を封鎖して、即日に有刺鉄線で西ベルリンをぐるりと包囲して、わずか2日後から長大な壁の建設に取り掛かります。

それまで東西ベルリン間は高速道路や地下鉄で通行可能でしたが、この封鎖を受けて深夜にもかかわらず西側へと避難しようとする東側の住民が地下鉄の駅に集まってプラットフォームをよじ登ろうとするのを警察が排除するという混乱が起きたようです。今回の訪問で何度も地下鉄を利用しましたが、この混乱が起きた駅にはそのことを解説するパネルが設置されていました。

今やベルリン随一の観光スポットとなっているブランデンブルク門近くにも、壁建設後に西側に亡命しようとして東側当局に排除され犠牲となった200人近い人物の解説が顔写真とともに展示されていました。

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ちなみに、ベルリンの地下鉄の決済システムは旧時代的で、ロンドンでは当たり前になっているApple Payなどスマホ決済による入退場もできません。紙のチケットを購入して入場時にタイムスタンプを押すという前時代的なシステムに驚きました。

また、1度だけですが郊外の東ドイツ圏まで足を延ばしましたが、フランクフルトや他の欧州の主要都市圏と比較して明らかに貧しい風景が広がっていました。こうしたインフラや旧東ドイツ圏の風景からも、30年以上にわたって様々な努力が続けられているにもかかわらず未だに東西間で経済格差が存在することを感じました。

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岡村聡

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