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The Style Concierge

個人情報の商品化について考える

個人情報の次元が技術の進歩で変わりつつある

では、諸外国において、現在の日本のように個人情報に対する国民の厳しい目線があるのかというと、必ずしもそうではない。

欧州は米国と比較すると、確かに個人情報の扱いに厳しいが、米国は今の日本からすると、個人情報の保護などないも同然のレベルであり、それを多くの国民が問題視していない。

米国では、個人の住所、電話番号、メールアカウント、家族構成、職業などは、誰でもたちどころに調べることができる。住宅ローンの残高や所有する不動産、犯罪歴、クレジットカードの信用履歴など、かなりプライベートな個人情報まで筒抜けである。

というよりも、米国人は、よほどVIPな人でもない限り、自分の個人情報などには大して価値がないと考えており、むしろビジネスなどで活用した方が、自身も便利であり、社会全体として有益だと考えているようである。

個人情報については、絶対にオモテに出したくないという人もいれば、ある程度は活用した方がよい、個人情報を過度に保護することの弊害にも目を向けるべきだ、気持ちはよくないがIT時代にそれを制限するのはナンセンス、など、いろいろな考え方があるだろう。

よく理解しておくべきなのは、このところビックデータに関する技術が急速に進歩しており、個人情報の概念が大きく変わりつつあるという現実である。

日本国内で名簿業者からの流出というレガシーな話題で大騒ぎしているうちに、グーグルやフェイスブックなど海外のIT企業は、従来の常識をはるかに超えるレベルで日本人の個人情報をクラウド上に集約している可能性がある。

ITを使って収集される個人情報のレベルは、位置情報、交友関係、メールの宛先や内容など多岐にわたっており、名前、住所、年齢といったごく断片的な情報に限定されていた従来の個人情報とは比較にならない。特にSNSやブログには、わざわざ詳細な個人情報をアップしている人が多く、これを法律で規制することは不可能である。

自身の個人情報が勝手に商品として利用されるのはあまり気持ちのいいものではないかもしれない。しかし、こうした個人情報の活用は、日本国内で規制してもグローバルレベルで見れば着実に進んでくる。

個人情報の保護について考える際には、こうした技術の動向をよく考えた上で、どこまでなら許容できるかという柔軟な視点で考えた方が社会全体としてメリットが大きいはずである。

 


加谷珪一(かやけいいち)
評論家
東北大学卒業後、投資ファンド運用会社などで企業評価や投資業務に従事、
その後、コンサルティング会社を設立し代表に就任。
マネーや経済に関するコラムなどの執筆を行う。
億単位の資産を運用する個人投資家でもある。
著書「お金持ちの教科書」(阪急コミュニケーションズ)
加谷珪一のブログ http://k-kaya.com

加谷珪一

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