ENRICH(エンリッチ)

The Style Concierge

アートギャラリーを知る 
玉屋喜崇 GYOKUEI

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10年ほど前から企業家が注目するようになった現代アートを「買う」選択。

作品のインパクトや独創性に惹かれてアートを手に取る人も多いだろう。

現在、東京・南青山の一角に拠点を構える「GYOKUEI」は、ユニークな視点で活動を続けるアーティスト、川井徳寛・野口哲哉らを擁するギャラリーである。

少人数の専属アーティストを家族のように大切にし、丁寧で細やかにアートと向き合い続けてきた代表・玉屋喜崇氏に、優れたアートを知る醍醐味について伺った。

父の後を継いだギャラリーを新しい形に

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ENRICH(以下E): 改めて、ギャラリー「GYOKUEI」の歩みを教えてください。

玉屋:もともと父がギャラリーを経営していまして。私が社長になった段階で、少しずつ形を変えて今のスタイルになりました。会社を経営してからは20年以上の年月が経ちましたね。2016年に銀座から表参道へ拠点を移しました。

E:南青山をギャラリーの立地に選んだ理由を教えてください。

玉屋:実はもともと、今あるギャラリーの目の前に住んでいたんですよ。

ここにはもともと骨董屋さんが入っていて、共通の友人を通じて友達になりました。そうしたら「玉屋さん、ここにギャラリーを開かない?」と言われて。偶然のご縁が重なって移転に至りました。

E:お父様はギャラリー経営者、お母様は大学の美術史科卒とのこと。幼いころからアートは身近な存在だったのでしょうか?

玉屋:人と比べたことはないので分からないのですが、アート好きとかではなかったと思います。父が母に作品を見せるために家に持ち帰り「これは良いものだ」と自慢しているのは耳にしていましたが(笑)。

美術が好きでこの業界に来たというより、「今この瞬間、すごく美術漬けになっている」という言葉が適切かなと。今では完全にアートの虜ですね。

E:ギャラリー運営の手腕はどこから影響を受けているのでしょうか。

玉屋:ちょうど僕がこの美術業界に入った時は、1991年のバブル崩壊後の時期で、華やかな頃から一転して絵の価格が下がり、ギャラリーの倒産も相次いでいました。逆に僕はその時期に入ったからこそ取捨選択ができましたし、今の経営に活かされているなと感じる要素も多々あります。「こういうことをしたら潰れるのか(経営を維持できるのか)」という学びも得ました。現在も日々模索中ではありますが。

E:そのとき生き残ったギャラリーとそうではなかったギャラリーの違いは何だったのでしょうか?

玉屋:難しい質問ですが、身の丈にあった経営ということでしょうか。自分も優れた作品・作家を見つけて本当に良いものだけを扱おうと改めて決意する機会になったと思っています。

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あとは、ギャラリーの面積を極力コンパクトにしようと思ったのも、この時期の経験が影響しているかもしれません。

E:あえてコンパクトにしている理由は?

玉屋:自分の能力、器はこの大きさです。見栄などは捨て、ストレスが無い方を選びました。

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E:もともとは現代美術ではなく、近代美術寄りの画廊だったとか。現代美術の作家・作品を扱うようになった経緯を教えてください。

玉屋:父は近代美術を扱ってきました。作家さんを育てていくというよりは、海外から作品を仕入れて日本で販売するというスタイルで。

しかしアート業界の中には「ギャラリストは、自ら発掘した作家と共に歩む」という風潮があり、流れに身を任せる形で自分の眼で作家を探し、自然に現代美術に移行していきました。

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エンリッチ編集部

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