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マカオ 1/3 
世界最大のカジノ都市マカオ

マカオ ベネチアン

この連載の最初の3回で香港について紹介しましたが、先日香港・マカオを再訪したので、ここから3回にわたって今や世界最大のカジノ都市となったマカオについて紹介します。ところで、今回香港を訪れて驚いたのはこの連載の前々回で取り上げたジョホールのフォレストシティの広告が、香港国際空港のイミグレーションを出たすぐのところにデカデカと飾られていたことです。ケタはずれの規模のプロジェクトだけに、東南アジアだけでなく広く中華圏でも大規模な宣伝を展開しているようです。

香港からマカオへはフェリーで行くのが一般的です。マカオを訪れたのは2006年以来でしたが、フェリーへの乗船の時に前回は列がきちんとできておらずに、さらに順番を抜かす人が多いために正規のチケットを持っていても乗れないといったトラブルがありましたが、10年経過して全て指定席で整然と乗り降りをしているのを見て、マカオも少し洗練されたと感じました。

10年前にマカオを訪れた時には依然スタンレー・ホー氏のカジノ独占時代の名残が強く、大規模な外資系ホテルはベネチアンくらいでしたが、今回私が宿泊したMGMやウィンなど米国の大手カジノホテルブランドはもちろん、マンダリン・オリエンタルやフォーシーズンズ、リッツカールトンなど様々な外資系高級ホテルブランドが進出していました。

マカオ ウィン
マカオ ウィン2

マカオは1962年にスタンレー・ホー氏がカジノの運営権を取得して、以降40年以上に渡って独占的にマカオでカジノを運営してきました。ホー氏はカジノで稼いだ資金を新たなカジノホテルだけではなく、港の整備や前述した香港とのフェリーサービスに投資をすることで、平凡なポルトガルの植民地都市だったところから、アジア随一のカジノリゾートにまでマカオが成長する原動力となりました。

そして、マカオが1998年に中国に返還されてから発足した新政権はホー氏のカジノ独占体制に終止符を打って、カジノの運営権を外資系も含めてオープンにすることを決めました。実際には2004年から外資系のカジノ運営会社へのライセンスを発行し、それと前後する形で2003年には中国本土からの顧客を受け入れることも決めたことで、マカオのカジノ売上は爆発的に成長していきます。2005年にはカジノの年間売上でマカオはラスベガスと約60億ドル(約6,500億円)で並びます。

そして、私が前回にマカオを訪れた2006年にラスベガスをカジノ売上で逆転して、初めてマカオは世界最大のカジノ都市となります。その後も、中国経済の急拡大によって中国本土からVIP顧客が流入したことで、マカオのカジノ売上は伸び続けて2013年には約4.9兆円とピークをつけます。この年のラスベガスのカジノ売上は約7,000億円でしたから、実にマカオのカジノ売上はラスベガスの約7倍にまで達していました。

しかし、2014年以降に中国経済の失速や習近平政権による反腐敗活動の強化、さらにはチャイナショックと呼ばれている2015年夏からの中国株式市場の急落などの悪材料が重なって、マカオのカジノ売上は2013年から14年にかけて微減し、14年から15年には3分の1以上も減少するなど大きく失速しています。

岡村聡

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